聖書植物物語34 勝利の凱旋とシュロ(なつめやし)の枝

シュロ(和名:棕櫚、棕梠、学名:Trachmcarpus fortunei)は、ヤシ科の常緑高木。シュロの仲間に、日本でもよく見られるワジュロ(和棕梠)やトウジュロ(唐棕梠)などがある。その樹皮は、シュロ縄として用いられてきた。シュロは、日本で古来より親しまれていた唯一のヤシ科植物であったため、シュロとは異なるヤシ科植物のナツメヤシもシュロと翻訳された。その結果として口語訳聖書では、ナツメヤシをシュロと訳し、新改訳聖書ではナツメヤシと訳している。
ナツメヤシ(和名:椰子、なつめじゅろ、英名:パルム(palm tree)、学名:Phoenix dactylifera L、ヘブル語:タマル)は北部アフリカ原産で、その実は、椰子(やし)の実、またはデーツと呼ばれ、非常に甘く、乾燥させると長期保存できる。非常に栄養価が高く、今日では日本でもおやつとして食する人も多い。
高木で高さ10mくらいになり、一本の木からたくさんのデーツが取れる。その葉は屋根の材料や工芸品として用いられる。樹齢は100年~200年と長い。英語のpalm treeのパルムは「手のひら」の意味で、葉が手のひら状に見えるところから、そう名付けられた。
ナツメヤシは、聖書の中にも多く出てくるが、口語訳では、これをシュロと訳している。旧約聖書でエリコは「しゅろの町」として知られ(申命記34:3)、多くのナツメヤシの木が自生している。ソロモンの神殿のとびら、支柱、鏡板、拝殿には、飾りのモチーフとして、ケルビムとしゅろの木が刻まれていた。
しゅろの木は御使ケルビムと共にイスラエルにとって神の勝利と栄光のシンボルであった。詩篇92:12-14に次のように歌われている。
「正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正しいことを示すでしょう。」
上記の聖句の「正しい者」とは、信仰者のことであって、彼らはなつめやしのように栄えると言われている。なつめやしは信仰者の栄光と繁栄をも表わしていた。
イエスが弟子達と共に、エルサレムに入城されたときに、大勢の群集は、手にしゅろの枝(ナツメヤシの枝)を取って出迎えて「イスラエルの王にホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」と叫んだ(ヨハネ12:30)。人々はしゅろの枝を手にしてイエスをイスラエルの王として、栄光とさんびを献げたのである。この時、人々の手にあったしゅろの枝は、ソロモンの神殿のモチーフともなった。神の栄光と勝利を祝うためのものであった。この日は、シュロの日曜日(Palm Sunday)として今日覚えられている。黙示録7:9に、同様に、イスラエル144000人の忠実なキリスト者による福音宣教の結果、多くの人々が救われて、数え切れない人々がしゅろの枝をもって主イエス・キリストの勝利と栄光をほめたたえている。
「その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。」(黙示録7:9-10) また、長老たちも、同様に主イエスをほめたたえて言った「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。(黙示7:12)
長寿で天高くそびえ、その実は多くの人々にいのちの糧となり、その葉は、やすらぎの場所となるナツメヤシの木は、イスラエルの王、イエス・キリストのイメージと重なっているところがある。そして、主イエス・キリストこそ、人類最後の敵、死に打ち勝たれた真の勝利者なのである。イエスは言われた。
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)
主イエス・キリストの復活こそ、真の勝利である。
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」(汽灰螢鵐15:55-57)
私たちも勝利と栄光のしゅろの枝を手に取って、主イエス・キリストをほめたたえましょう。
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